メタ認知っていうんですかね。
メタボリックです、こんにちは。
今日はひっさしぶりにカラオケに行って、喉がガラガラです><
最近メタ認知というか、自意識というか、自覚ということについて考えることがあります。
物事に熱中しそうなときに、一歩引いて自己を冷静に捉えようとする瞬間がありますが、それって例えてみれば温かいスープに水を差すようなことなんじゃないかと。
何かを感じて、それはどういうことなんだろう?と考える間に、物事の鮮度は落ちて、出来事も感情も色あせていくような気がします。
翻って、「こんなげーむにまじになっちゃってどうするの」みたいな煽り文句があるように、感情的になった方が負けみたいな感覚も一般的に有りますよね。物事を一歩引いて考えられる俺かっこいいみたいな。
ちょっと話は飛びますが、春に自転車旅行に出発する際、心にひそかに思っていたことは「誰よりも長い距離を走りたい」でした。体力が低いのは自認していたので、毎日の走行距離のアベレージで頑張っていました。
「誰よりも~」とか「誰もやったことのない~」を考えるとき、自己との比較対象としての誰かが必要になります。なぜ自転車で旅行をしたいのかと問われたときの答えが「楽しいから」とか「やりたいから」ではなく、「誰よりも~」や「誰も~」だったとすると幾分不純に思えてしまいます。相対と絶対の違いでしょうか。
何が言いたいかといいますと、COOL COOL COOLな漫画よりも梅澤春人先生の漫画が私の性には合っているような気がするということです。
自己覚知と無我って両立するのかなぁって疑問も・・・。