米子滞在日記4
六時前に目が覚める。昨日買いすぎた半額の弁当を食べたり、風呂に入ったりしていると七時半も目前になっている。
テントで寝るときは、如何にして撤収に掛かる時間を短縮させるかを念頭に置きながら行動しているのに対して、宿やらネットカフェやらを利用するときは、退出時間が基準になってしまっている。
屋内で寝ることで野性が鈍るのだ等と思ったりもするが、道の駅の休憩スペースで休んでも寝過ぎるということは無い。要するに個人的空間が有るか無いかの違いだ。
他者の視線の有無が行動基準であるならば、私の中の規範は罪ではなく恥なのだろう。そう考えると私の中の神は死んでしまったのだろうかと思いもする。人が見ていなければ何をしても構わないという考えは神の不在故であろう。
ここで、朝ゆっくりと過ごすことは悪いことなのか?という疑問が生じる。これまでの旅行で習慣付いていた早起きが出来なくなったから嘆いているものの、時間に追われないで朝の一時を過ごすことも良いのではないかと。その変化が、私によってどのような評価を受けるかは、結局己の怠惰によって引き起こされたか否かであるかなのだなぁと思う。
「悪人こそが救われる」なんて言葉がふと頭をよぎる。怠惰であることを受け入れている人の方が、余程人間が出来ているということもあるのだろう。
そんなことを思っていると勇次郎の食事の場面が浮かんできた。
一週間の滞在は私には長すぎる。生憎の天候不順が拍車を掛けていて、参ったものだ。